独立、経営者の厳しさを経験する。(株式会社テッド設立)

セントラルコンサルタントに勤めてから、丁度4年後、
無謀にも設計事務所を立ち上げ独立しました。
徐々に人脈も出来、仕事も各方面より受注し、順調。
職員数も38人程となり、仕事に追われた忙しい毎日でした。
しかし、5年後私の相棒が突然「部下全員連れて辞めて独立します」と切り出しました。
ほとんど会社にはおらず走り回っていた私には、寝耳に水でした。
「どうした?何があったのだ?しかも全員辞める?」
「はい、社長の事務所経営のやり方には着いて行けません。
これが全員一致した考えです。
社長が退任するか、私達全員が辞めるか二者択一です。
勿論勇退された場合は私達が社長に報酬をお支払いします」
「うーん、すこし考えさせてくれ、1時間後に回答する」
何故辞めるのか、給料が安いからだろうか?
いやそんな事はない。他社に比べてもうちの方が高いはずだ。
事務所は新宿2丁目、新宿通りに面して構えていたから、場所の問題ではないと思う。
私の経営方針に就いて行けない?
この言葉の意味が分からない…でも何かが違う事があるからだろう。
近くにある新宿御苑を歩き回り考えた後、決心しました。

「自分で築いた城は最後まで自分で守る。
一から出直そう。たとえ一人に成ろうとも!」
これが結論でした。

当時2フロアー借りていたので(約70坪)、早速ビルオーナーに電話をし
「これこれの理由で賃貸貸室契約を解約し、小さな事務所で再出発したいのですが」
「君の結論は正しいと思う。
しかし契約書に記載されているが、契約解除は6ケ月前予告とあるから、
賃料は6ヶ月間、使用する使用しないにかかわらず払ってもらう事となるよ」
「えっ、私一人しか使用しないのにですか?」
このあたりからこのオーナーの経済感性が半端ではないと実感し始めました。
オーナーは明治大学商学部を卒業し、学生時代は乗馬クラブに所属していたとのこと。
戦時中ビルマ戦線で部下を全員亡くし、泥水を飲み生き延びて帰って来たのだとか。
奥様とリヤカーを押しながら茶碗セットを売り歩き、
血反吐を吐く思いで今日の財をなした等の苦労話を以前から聞いていました。
オーナーは沖縄宮古島や石垣島に広大な土地を所有していましたが、
本土に住む人の土地は殆ど農振地域に指定されており、
事業地にどころか、売買さえ大変厳しい条件が付けられ困っているとのことでした。
その農振の解除を頼まれてご一緒した時、飛行機の中や宿泊ホテルでよく聞かされましたが、
あまり私にはピンと来ませんでした。
大変苦労されたのだな、位にしか感じていなかったのです。
しかし、今回職員が辞めるから何とかなりませんかと窮状を訴えても、
顔色一つ変えず
「先ほども言ったように、契約事項は守って貰う」とおっしゃいました。
もしかしてこの厳しさがあの時話された、
「苦労をしてこそ財をなす。簡単であれば誰でも金持ちになっている」という、
この事を指していたのか!
…他人事の様に、そんなありがたい話を聞いていた自分が情けないと思いました…。
「但し預かり保証金があるから、そこから賃料を差し引く事となるだろうね」
保証金が6ヶ月分であった事の意味が分かりました。
当時は、私が借りたフロアーの賃料・保証金は非常に高かったのです。
しかし私はビルの外観を非常に気にいっていたので契約しました。
不動産賃貸ビル経営とはこの事を指すのか、
私は未熟で甘いなと実感した時でもあります。

話が反れましたが、彼等との話し合いでは、
私はもっぱら設計請負契約済みの残金請求額と借入金の相殺を最優先させ、
まるで労使交渉の様相を呈していました。
但しこちらは一人。
出来うる限り借入金を少なくする事が、会社が生き残る唯一の手段と考え、
概ねの合意に達し、合意書の作成となりました。
事務員一人とアルバイトの一人、そして私の三人が残りました。
(後で聞くと、辞めていく人達から声が掛からなかったのだそうです)
三人での再出発となりました。
ガラーンとなった事務所。
声も響く、周りを隠すにも広すぎてパーテションも役に立たない程でした。

経営者の厳しさを経験させられ、
いいえ、私の不徳の致すところであったと今にして思います。
(ビルのオーナーとの事も私にはショックでしたので、つい話したくなりました)





ライオンズガーデン秦野


経営者の厳しさを体験した後、がむしゃらに働いたその結果5年後には、
元の規模までになりました。
但し当時とは勢いが違い、バブル景気と相まって急速に売り上げ増進し、
年商〇〇億円となりました。
その頃は民間の受注が多く、施主から怒られ、せかされの毎日でしたので、
発注者の経験をしてみたくなりました。
事業者の視点で見た設計とは…どんなものなのだろう、と。

事業者としてのスタートです。
まずはリスクの少ない等価交換方式による
賃貸マンション、分譲マンションの設計・施行を始めました。
但し私の会社は与信力に欠ける為、3者協定によるものでした。
地主 ― ぜネコン ― テッド
その後大型分譲マンション建設に乗り出し、
神奈川県秦野市の土地取得後、ファミリイタイプ77戸を建設し、
少し前とは違いますが、
やはり3者協定開発設計・建築確認・施行発注、
大京に分譲床売りするプランでスタートしました。
地主(テッド)−ゼネコン(不動建設)−デベロッパー(大京)

開発許可番号湘セ第15−25号、
許可を受けた者 株式会社テッド代表取締役 塚田 修
承継人 株式会社大京代表取締役 横山修二
開発面積3350、16u
共同住宅77戸SRC造り11階建て
延べ面積6195,02u
検査済証番号 第0−1102号


完成間近大京より
「テッドさん、工事完工時に弊社が一棟買い上げる契約をしましたが、
経済状況悪化に伴い、弊社の契約済み物件の見直しを余儀なくされています」
聞けば、契約済み物件数17件を再検討しているとの事で、
その中に私の物件も含まれていたのです。
「それで相談ですが、買い取り金額を減額して貰えませんか」
私は
「正式に契約しておいて、今更何故ですか?
そんな勝手な話は無いですよ。
しかも御社はこの業界のトップ企業じゃないですか。
司法の力を借りてでも、どちらが正しいか証明させますよ。
それでも減額しろとおっしゃるのですか」
「勿論裁判となれば弊社は負けます。
これだけの契約をしていますから…ですが、なんとかなりませんか」
そんなやり取りをしている間に、建物は完工し、
工事会社(不動建設)より支払い督促…。
保全の為として、私が所有していた自社ビルに抵当権を設定するまでに及びました。
大京との話し合いで月日が3ケ月過ぎていました。
土地取得一部代金、工事費支払い等の手当ては当然大京よりの支払い時に支払う約束でしたので、支払い期日より3ケ月遅れる事となりました。
その時の借り入れ総金額は〇〇億円、
借り入れ金利支払いは月に〇千万円でした。
会社保養所を売却し支払いに当てました。
裁判するか?減額に応じるか?
時は情け容赦もなく過ぎて行きます。
3ケ月が限界、裁判の結審が1年後だとしたら、
勝訴し費用〈支払い金利も含む〉を相手が支払えとの判決が下されたとしても、
それまで払う金はどう捻出するのか…会社がもたない!

悔しかったです。
本当に悔しかったけれど、減額に応じざるを得ませんでした。
「やられた。完全にやられた」と感じました。
でも自慢にならないかも知れませんが、支払うものは1銭も減額せずに支払いをしました。

先輩の言葉がよぎりました。
「大企業は及びもつかない方法で事業をし、しかも看板で物を動かす化け物だよ。
真面目に相手をしていたら、手の平の上で転がされるよ。
ずるさも技術だからね」
正しくその通り!


大分市妙祥寺開発許可


この寺は平成20年現在まだ建設されていません。
現場は雑草が生い茂ったままです。
地目は宅地、約2ヘクタール(6000坪)の土地です。

私がこの開発設計にかかわり始めたのは平成8年始め頃でした。
当時は新宿区内にビルを建て、その1階に事務所を置いていました。
たまたま知り合いの人が、このお寺の檀家総代でした。
「寺の本殿、客殿、庫裏などを建設するために土地を取得しましたが、
用途が1種住専低層住宅地(高さ制限10メートル以下)でした。
買ってから10メートル以下の建物しか建てられないと分かり、
本殿の高さが幾らなんでも10メートル以下はあり得ないと考え、
大分市建築指導課に相談しましたが…
都市計画で決められたものは変更出来ないと言われてしまいました。
専門の建築設計事務所にも相談し、再度市の方に行ってもらったが結果はやはりダメだと…。
寺にとっては大変な問題なので、是非相談に乗って欲しいのです。
高さ制限解除に力を借りたいのだけれど、やっていただけないでしょうか」

都市計画で決定された事項を変更してくれないかとの相談でした。
当時私は、「総合設計制度」の関係で
容積緩和等の交渉を各区役所の建築指導課と相談した経験がありましたから、
似たような案件だからできるかもしれないと思いました。
単なる相談だとは理解しても、問題が問題だけに、
お寺にとっては重要であると認識しました。
事務所が東京なので、大分市とのしがらみも無いからと檀家総代は考えていたようですが、
都市計画法は全国共通、しがらみがあるなしで決まる物ではありません。
私は高さ制限解除の申請をした事も無ければ、当然役所との交渉もした事などなかったので、
とてもじゃないが責任が重いと考え、断りました。

何日かの後…。
東京での会議出席の為上京された住職がわざわざ見えられ、
何とか相談に乗ってもらえないか再度頼まれました。
直接に住職から頼まれたので、断れなくなりました。
「自信はありませんが、市の方に相談だけでもしてみましょうか」
少しでお役にたれば良いかな、
そんな思いで申し上げました。

それが大分妙祥寺との係わりの第一歩となりました。

平成8年10月、建築基準法第55条3項第2号の許可を取得しました。

高さ制限解除但し予定建築物の高さ迄とする。(建指証第 215号)

高さ制限解除となり、お寺を建てる事が出来るようになりました。
関係者全員が喜び、造成開発許可(都市計画法第29条)取得に向かう事となりました。
本来なら、開発許可取得後に協議されるべき事項が、
建基法55条許可により、建築物詳細設計も並行して協議した為、
打ち合わせ内容が増大し、長期に渡り大分市と協議しました。

当時檀家数が約3000戸位でしたから、
檀家の全体集会開催日には大渋滞が予想されるため、
進入路を新設した方が良いとの結論で、
幅員10メートルの進入路を設ける事となり、建設用地を追加買収しました。
もちろん交通量調査を実行、
平日・休日2日間調査し開催日の交通量を予測した結果です。


個々の問題を解決しながら、
近隣住民・関係各課とその都度打ち合わせをした結果、
平成11年7月に開発許可を取り付けました。

〈大分市指令第 924号〉(設計者 株式会社テッド 代表取締役 塚田修)

許可取得直前、私は心臓発作で倒れ長期入院しました。
そのため、何故施行に着手しないのか、当時の関係者がおられない為に分かりません。
苦労して取得しただけに残念です。




大手運送会社債権管理

かつて私の設計事務所で受注した案件、
大手運送会社のグループ会社の東京S便の話です。

旧経営者Aが連帯保証人となった額が、
約5000億にまで及ぶ事を知ったその後のグループ代表者が
特別背任事件とし代表者Aを告訴した、
いわゆる東京S便事件。
それらを受けて
保証債務の処理方策の基本データー作成・調査を
委託費3億900万円で受注しました。
それらの調査は、
膨大な処理内容とそれまでに積み重ねた経験により行われるものでしたから、
その受託費が高いとは思っていませんでした。

「資料の整理等が充分行われておらず、
多数のダンボール箱に未整理のまま入れられているような状況で、
債権回収作業ほとんど進んでいない状態にあった」
(判決文より抜粋)


そもそも設計会社が請け負う物件は、実費精算では計れないものであり、
かかわった人員計が元となるのが基本の筈です。
つまり、1件受注で○○○万円也、という方式です。
当然この案件も1件受注(設計費3億円プラス消費税900万円計3億9百万円)で
6ケ月分割払い(1ケ月5000万円)の受託金支払いとなるはずだったのですが、
納品後入金してから6ケ月を経過していきなり、

「支払った調査費が高すぎる」と、地裁に訴訟され裁判となりました。

「その適正調査費用(報酬)額はせいぜい1億5000万円程度と認めるべきであり、3億0900万円という調査費用(報酬)は
合理的根拠が乏しく高額にすぎるといわざるを得ない」
(地裁判決文より抜粋)

残念ながら敗訴となりました。
当然控訴手続きを始めましたが、
当時私は、持病である心臓が悪化し、発作で緊急入院中でした。
その為弁護士との打ち合わせもままならぬ状態でした。

高裁に控訴しましたが、棄却されました。

後で分かりました。
これは私に対する過払いへの司法判断を仰ぐものではなく、
後継者争いの格好の材料にするために訴訟、
判決を取り付けるためのものであったようです。
当時代表取締役副社長であった方(債権管理責任者)は、
職務怠慢及び管理能力が欠如していたとして、
株主総会で取締役を解任されました。
材料となった判決文はA4版20ページにも及ぶもので、
個人名こそ書かれていませんが、
わたしが代表の法人名がやたらと登場しています。

あまり詳しくは語れませんが、
私の作成した報告書に依り管理作業が行われたことは、
揺ぎ無い事実であり、結果です。
裁判資料に関しても、
私が調査した数字がそのまま使用されていたりもしました。

請負は請けて負けると書くのだよと言われる方がおられますが、
私は今でもそうではないと断言したいと思います。
目に見えない・実際に物を創造しない「技術」への対価は、
日本では未だに安く扱われていると思っています。