カンタンにプロフィール

 

神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業

中央大学理工学部土木工学科卒業

セントラルコンサルタント株式会社入社

株式会社T.E.D設立 代表取締役就任

 


 

人生にはそれぞれの転機があると思います。 
外側からの物理的なもの、
内側からの精神的なもの、
どちらもその本人がそれらをどのように捕らえるかですが
それらの転機を越えた後で、
 「あー、あの時の選択が、私の人生を決めたのだ」
その様に位置づけ、
その後の人生をどう生きたかは、本人しか知り得ないものです。
その結果、他人がいかなる評価をしようと
関係ないと思っています。
ましてや他人のせいにし、被害者意識で問題を捉えるのは論外です。
失敗、成功は本人が評価すべきものであり、
成果は本人しか解らないはずです。
勝ち組、負け組では分けられない、
もう一つの組己知組(おのれをしる)が有ると考えています。
(何を指して勝ち負けを決めるかよくわかりせんが、多分生活が安定不安定を基準)
私の考えでは、
どの組に属していたかは、多分、逝く時にしか分からないのではと思います。

私には今までに、3回の転機がありました。
1、 設計コンサルタントに就職した時。
2、 社員が全員辞め、その後出直して盛り返す事ができた時。
3、 心臓発作を起し、心臓が停止したが幸い蘇生出来た時。

1. 
「あなたの職業は?」と聞かれた時
「建設コンサルタントです」とハッキリ答えます。
何かを創る、又は造らなければならない場合、
設計がありその後に施行が続きます。
設計する場合に必要なものは、創造力と施行技術の理解力。
施行に必要なものは
施行力と設計への理解力、
相互の調和がはかれた時
完成度が高いものが出来上がると考えています。
(設計と社会との関わりについては、当時は分かっていませんでした)
人生のスタートに設計業を選んだのは素晴らしいものであったと思います。

2.
当時怪物か変人と称されていた方々に、
私は背伸びをしてお仲間に入れてもらっていました。
そんな時、突然社員全員から辞表提出されました。
社員は給料さえ払っておけば付いて来ると思い上がっていました。
未熟でした。
組織が持つ力は簡単に私を奈落に突き落とし、
反省する時間さえ与えてくれません。
はたして立ち直る事が出来るものやら、
正直なところ
「反省は後で、今は進むしかない。死ぬ気でやるぞ、命までは取られないから」
社員の会社への忠誠心のなさではなく、己の不甲斐なさを嘆きました。
相談する人さえいないありあさまでしたし、
その頃は必要だとも考えてもいなかったのです。
ガツガツからコツコツに変えて働きました。
走り周りました。
背広から作業着へ、自家用自動車からバス電車利用へ、
生活を変えるしか手段がありませんでした。
誰も誉めてもくれません。
いや、むしろ
「今頃分かりましたか。そうなるだろうと予想はしていましたよ」
その言葉が私のガソリンとなり、
結果再建し、それ以上になれました。

3.
人間とは懲りない動物です。
一人で裸馬に乗り敵陣目がけて突進しながら後ろを振り返ると
誰一人として私について来なかった苦い経験をしたのです。
何かをそこで学び取ったはずです。
喉元過ぎると何とやらで
また調子に乗り過ぎ、又同じような失敗をしまいと頑張りました。
人や物を大切にし、事業も安定して来た矢先、
私に天罰が下りました。
突然心臓発作に見舞われ救急車で病院へ…。
心肺停止状態で重症、長期入院となった私の事務所は、
エンジンのない車みたいな物で失速状態。
いや、急停車状態でした。
家族を含めスタッフが将棋倒し状態になりました。
規模を縮小し、それぞれグループ分けし顧客を分配、
何とか彼らが生活出来るように独立させるだけで精一杯でした。
退院時にまたも一人ぼっちです。
心臓の三分の二は壊死、体力も限界。
昔の様に走り回る事は不可能です。
世に言う一級身体障害者となり、
周りの人達は回復不可能と考えて相手にしてくれませんでした。
私の娘だけが、父親は世界で私一人だと言い、
出来ることは手伝うからと元気づけてくれ、いろいろ世話をしてくれました。

3度目の転機、また一からやり直しです。

東京から箱根、箱根から湯布院、
湯布院から別府と居を移し、
個人事業ですが、再度奮闘中です。

やはり、心臓疾患には温泉治療が効くようです。

建設ブロガーの人達との出会いが、4番目の転機です。
再度歩き出すことを決意しました。